カテゴリ:日本の文化に触れる( 4 )

田島の獅子舞

今日は近くの神社で獅子舞があるというので見て来た。

田島の獅子舞というさいたま市の無形民俗文化財に指定されていて、3月、7月、10月と年3回開かれているという。

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20年近く住んでいて初めて知ったし、初めて見に行った。
自分のアンテナに引っ掛からないことは無関心だったのか、まったく知らなかった。

この神社には散歩で何回か来たことはあったけれど市指定の無形文化財の獅子舞を年3回もやっていたのには気付かなかった。
周囲に目を向ければまだまだ何か発見というものはあるに違いないし、発見して行くべきことなのかもしれない。

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30分ほどにわたって踊られた獅子舞自体はそれほど派手なものではないけれど、奉納の舞という印象を持った。ただ獅子舞の保存会のみなさんは見る限り高齢の方が多いようだったので30分とはいえ大変だったに違いない。

昭和44年に途絶え、昭和56年に復活したようですが、こういう地域地域に脈々と受け継がれて行く伝統文化というものは後継者がしっかりと育っていかないと続いていかないものだ。
伝統を維持継続していくことは大切なことだけれど、大変なことだとも思う。
なかなか難しい問題ですね。

ちょっと新機能の地図を貼ってみました。



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by zucky67 | 2009-03-15 23:54 | 日本の文化に触れる
劇場内の様子はこの辺にして今回観て来た演目について少し触れておきます。
まず最初の演目「祝初春式三番叟」は、人間国宝中村富十郎(80歳)が演じる翁、三番叟に梅玉、千歳に松緑、菊之助という配役。「三番叟」は能「翁」の役名に由来し、「式三番叟」は「翁」を歌舞伎舞踊化した作品ということだ。素人目には観ていて能の動きと同じように感じられた。能と歌舞伎の違いがよくわからなかった。この演目は節目に演じられているらしく、今回のさよなら公演の幕開けにふさわしい演目だそうだ。約40分の演目が終了し、15分の幕間をはさみ2番目の演目は「俊寛」。知っている役者といえば松本幸四郎演じる俊寛、丹波少将成経演じる市川染五郎。他にも有名な方も出られているのだが、歌舞伎初心者としてはやはりテレビに出ている方しか知らない。ただメイクをして衣装に纏った姿では判別が難しい。声も歌舞伎調のセリフ回しのため、わかりやすい人、わかりにくい人がいる。ましてや現代語ではないために聞き取りにくいものや意味不明の言葉などがあるためより難しい。しかしそういう時のためのイヤホンガイド。わかりやすく説明をしてくれた。ただセリフや唄、三味線、小鼓などがかぶる時がある。そうなると聞き取りにくくいのが難点だ。(どちらに集中すればよいか戸惑ってしまう)
この演目では遠近法を使って舞台に奥行き感を出したり、回り舞台を活かした演出を行なって、その情景や世界観を表現していた。現代ではこうした舞台構成は可能になっているが江戸時代の時はどうしていたのだろう。とふと考えてしまう。また電気もなかったので照明効果も期待出来ない昼光利用しかなかった時の歌舞伎の演出とはどういうものだったのだろうか。伝統芸能とはいえ、現代の技術を活用出来るため、おそらく江戸時代に実際演じられていた歌舞伎の世界とは少し違ったものだったのだろう。娯楽が満ちあふれている今の時代と昔では歌舞伎の楽しみ方も変わって来ているのだろう。そう考えるのも受け継がれて来た伝統文化に触れてみなければ普段はあまり意識しないことだ。俊寛は1時間15分にも及ぶ演目だった。
次の演目までの幕間は30分、この間に買っておいたお弁当をいただきました。ちょっと座席でお弁当というには先述しましたがちょっと狭い。さて次の演目「十六夜清心」では、尾上菊五郎が清心役、そして鬼平こと長谷川平蔵でおなじみの中村吉右衛門が俳諧師白蓮、もうひとり鬼平に出てくる火付け盗賊改め方の小林こと中村歌昇が船頭の三次役で出ていました。中村吉右衛門は長谷川平蔵を少し歌舞伎風にした感じのセリフ回しだったのであまり違和感はなかった。そして昼の部のトリの演目は、坂東玉三郎が独演する「鷺娘」。こちらの舞台は一転し雪が舞う銀世界。艶美な舞を玉三郎が演じた。また舞台上で一瞬で衣装が変わる引き抜きというものも初めて観ました。また衣装がとても色鮮やかに舞台映えしてとても綺麗なステージだった。(内容的にはちょっと重いテーマなのですが)
11時から4時までの5時間(幕間も含めますが)という長丁場。チケット代は少し高めですが、これなら納得。一幕見席や3階席であればリーズナブルに歌舞伎を楽しめるので一度日本の伝統芸能の歌舞伎を鑑賞することもいいのではないでしょうか。両サイドには桟敷席があったのでいつかこの席で鑑賞したいですね。(といっても今の歌舞伎座があるうちにもう一回来れるかちょっとわからないですが)

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ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、歌舞伎役者には屋号があります。有名どこでは松本幸四郎、市川染五郎などは高麗屋、中村吉右衛門は播磨屋、中村勘三郎は中村屋、尾上菊五郎は音羽屋、坂東玉三郎は大和屋、中村富十郎は天王寺屋といった具合にそれぞれ屋号が違い、大向こうから掛声がかかります。この掛声のタイミングは当然素人では難しい。毎回そうなのだろうが、今回も掛声をかける人はちゃんと分かって絶妙なタイミングで掛声をかけていた。(同じ人しか掛けていない様に聞こえましたが)掛声がかかるのは知っていたのですが、実際に屋号と苗字が違うこととこれほど多くの屋号があるということも今回初めて知りました。行ってみないとわからないことや体感してみないとわからないことがまだ沢山あるということに今更ながら気付かされました。

人生の中で触れることができるものは限られています。日本に生まれ育って来た以上、少なくとも日本の文化的なものに関しては少しでも触れておくことは大切なことだと思うし、触れて行った方がいいと最近になって思う様になりました。

今回初めて歌舞伎に触れてみてこれほどおもしろいものだったのかと思いました。一等席で観るには少し高いので続けて何回も行けるものではないが、1年、半年に1回というペースであれば観てもいいかなと思います。それだけ十分に楽しめる要素が歌舞伎にはあるように感じられたし、また機会を見つけて来てみたいものです。しかし次はいつになるのやら….。
今後も歌舞伎に限らず伝統文化、芸能にふれる機会を増やしていけたらいいと思います。

今の歌舞伎座が無くなるのは惜しいですが、新たな歴史の一ページを記すことが出来ると思えばいいのかなと思います。歴史を重ねるということは不変な面と変化する面の両方を持ち合わせることなのだと思う。

さて次は落語かな?......おわり。


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by zucky67 | 2009-01-11 14:43 | 日本の文化に触れる
今回の「壽初春大歌舞伎」の演目は昼の部が祝初春式三番叟、俊寛、十六夜清心、鷺娘。夜の部が、壽曽我対面、春興鏡獅子、鰯賣戀曳網でした。

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観て来たのは昼の部です。開場時間が迫ってくると歌舞伎座の前は人、人、人。
中には着物姿の人もチラホラ。歌舞伎人気衰え知らずというところでしょうか。しかし見たところお客の年齢層は高そうでした。(自分も含めて)
歌舞伎座は座席で飲食出来る劇場、昼の部とはいえ11時に始まり、幕間(まくあいと読むそうだ)をはさんで4演目終了するのが、夕方の4時。当然、上演中にお腹が鳴っては気になって集中して観られない。
そこで入場する前に歌舞伎座横の歌舞伎茶屋にて自分はまい泉のごひいき弁当(ヒレカツサンド他)、相棒は地雷屋の松月(天むす)を購入した。
また以前夜桜能のとき、イヤホンガイドを借りて解説を聞いた方が理解できたので同様にイヤホンガイドを借りることにした。
そしていよいよ歌舞伎座の中へ。

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入ってみると収容人数(1867名)に対してホワイエは狭苦しさを感じた。予想以上に場内には沢山の売店や食堂、喫茶店などがあって現代作られるような劇場施設の雰囲気ではなく、大衆演芸場という感じだったけれどこれがまた良いのかもしれない。
3階席まであるボリュームは小さくないはずなのだが、劇場内部はこじんまりとした感じで、2階席だったけれど天井がやや低く圧迫感を感じたもののステージが近く感じられました。またステージ幅が広く、高さは横幅に対して低いのでよりステージが大きく感じられた。
ただやはり昔の建物の所為だろうか、座席のゆとりはあまりなく、何時間も座ったままだと膝が痛くなってしまう感じだ。(年は取りたくないもんだ)特に冬は厚手のコートやダウンジャケットなど嵩張るものを着用しているため、狭さが余計に感じられた。



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by zucky67 | 2009-01-10 14:15 | 日本の文化に触れる
昨日、初めて歌舞伎座で歌舞伎を観てきました。人生初(小学生の時、体育館で勧進帳を観た以来)の本物の歌舞伎です。
なぜ行ってみようかと思ったかというとご存知の様に22年4月興行を最後に今の歌舞伎座が取り壊されることになったためです。

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新年より16ヶ月間、「歌舞伎座さよなら公演」と銘打って興行される最初の「壽初春大歌舞伎」には出演される俳優たちも松本幸四郎、中村吉右衛門、坂東玉三郎、中村勘三郎などテレビでおなじみの名前が多く、行くキッカケにもなりました。
歌舞伎座は明治22年に現在の場所に外観が洋風、内部は日本風の3階建て檜造りの建物だったそうです。その後明治44年に純日本式の宮殿風に大改築と増築が施されたのですが、漏電により焼失。大正13年に岡田信一郎の設計により現在の原形となる鉄筋コンクリート造に建て替えられました。しかしこの建物も空襲を受け、外郭を残し焼失、昭和25年、吉田五十八設計により改修工事が行なわれ、現在の形となる。
今の歌舞伎座となってもう60年近く経ち、以前の歌舞伎座を知っている方も少ないだろう。新しい歌舞伎座がどのようなデザインとなるかはまだ知らないが、心象風景として残る歌舞伎座のイメージは現在の形だろう。しかしやがてそれも未来の歌舞伎座に取って変わられることになるだろう。その繰り返しをして歴史は積み重ねられて行く。

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歌舞伎座の姿形は変われども、そこで演じられた歌舞伎を観てきた人びとの120年もの間培われて来た歴史は文化の一つです。今までその文化に触れて来ようとしなかった自分は、単に理解できなかったのか、または観ていて退屈な感じがしていたのか、いわゆる食わず嫌いな感じだと思い込んでいたのだろう。40年生きて来て初めて自分の中で理解出来る知識も少しは蓄積されてだろうし、日本の文化に触れる、歴史に触れるということが大切だと思い始めたことが歌舞伎を一度自分の目で観てみたいと思った理由でもある。(年をとって来た所為なのかもしれませんが)

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おそらく若い時にはキッカケがないとなかなか日本の文化にふれることは少ない。(触れたとしてもそれにのめり込める程、魅力を感じることが少ないと思う)流行のものや最先端のものに比べると伝統や歴史というものは、少しかっこわるいイメージや古くさいというイメージを持ってしまうのが若さではないかとも思う。しかし今現在存在するということは綿々と続いて来た歴史や伝統のおかげでもある。先人たちが残して行ったもののうえに立って現代人が生きていることを忘れてはならない。
日本文化の再発見、今興味のある一つでもあるし、日本人に生まれて良かったと感じる。



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by zucky67 | 2009-01-09 13:05 | 日本の文化に触れる

design studio bAOBab 鈴木のBLOG さいたま市で住宅を中心に手掛けている設計事務所です。住まいや建築、日々感じること、自分なりのプチハッピーライフを書き綴っています。


by zucky67
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